『素直な大人』をテーマに自分の感覚を言語化してみる

『素直な大人』をテーマに自分の感覚を言語化してみる

『素直な大人』をテーマに自分の感覚を言語化してみる

サラダボウルにコラムを書くようになってから、
何気ない言葉にも意識が向くようになりました。

そこで今回は「何か違和感を覚える言葉」について考えてみます。

私は『素直な大人』という言葉があまりしっくりきてません。

普段は聞き流してしまうこの言葉をテーマに、
自分の感覚を言語化してみますね^^

『素直な大人』って正しい日本語なの?

『素直な大人』が正しい日本語なのか?

この問いに対する正解は私にはわかりません。

ただ、感覚的には間違ってはいないと思っています。

なぜなら意味は通じるから。

『素直な大人』という言葉を耳にした時に、
「誰に対しても態度を変えない人なのかな?」とイメージする事もあれば、
知り合いや友達などの具体的な人物を思い浮かべることも出来ます。

仮に『正しい日本語』でなくても『伝わる日本語』であれば、
その言葉の意味や意図を理解することは出来る。

だから『素直な大人』という言葉は間違ってはいないと私は感じています。

けれども、同時に違和感を覚える言葉でもあります。

でも、なぜこの言葉に違和感を覚えてしまうのでしょうか?

『素直な大人』に感じるジレンマ

『素直な大人』という言葉は理解できますが、
私は別に『大人』は素直な人間ではないと思っています。

『大人』は素直ではないのに、『素直な大人』という表現は成り立つ。

どうやらここにジレンマを感じてしまうようです。

素直は本来『子ども』に対して使う方が適しているはず。

もともと『子ども』は素直な人間で、修飾する言葉として適切でしょう。

けれども、『大人』に対して使うことで違和感を覚えてしまう。

だとすると、考えなければいけないことは
「私がなぜ『大人』は素直な人間ではないと感じているのか?」の部分かもしれません。

『子ども』と『大人』には違いがあって、その違いによって違和感が生まれる。

ならば、自分が思う『大人とは?』に対する答えが分かれば、
違和感の正体もわかるはずです。

私が思う『大人』の定義

「何をもって『大人』と呼ぶか?」は状況や立場によって変わるものですが、
今回の疑問に対しての定義を一つ決める必要はあるでしょう。

私が思う『大人』の定義は『分別がある人』です。

勉強をして知識や知恵、経験を経て人は成長し、
物事を判断する能力が身についていきます。

言い方を変えれば、成長していけば知恵や経験によって、
物事を判断する能力が身につくとも言えます。

『子ども』は成長して『大人』になるのだから、
その過程で知恵や経験が身につき『分別がある人』になる。

つまり、『大人』とは『分別がある人』であると考えられるはずです。

仮に『分別のある人』を『大人』と呼ぶのなら、
対義語の『子ども』は『分別がない人』となります。

『子ども』は知恵や経験がないために、物事を判断する基準がない。

物事を判断する基準がないから自分の興味や好奇心のままに行動したり、
人に教えられたりして、そこから知恵や経験を得て成長していく。

その様子からは素直さを感じられます。

となると、私が『子ども』が素直だと思うのは、
「知恵や経験など飾り気にあたるものを持っていない」からと考えられるでしょう。

知恵や経験がない状態だから人は素直でいられる。

ただ『大人』になればある程度の知恵や経験を身につけてきたはず。

だから、素直という言葉を『大人』に対して使ってしまうと
「この人は知恵や経験がないのかな?」という意味も生まれてしまうのではないか。。。

そんな感覚が私にはあるですね。

『素直な大人』はネガティブな表現にもなり得る

『素直』は『子ども』を修飾する言葉としては適切でしょう。

けれども、『素直』が『大人』を修飾する言葉として使われる場合、
それは「知恵や経験がなく分別のない人物」というニュアンスにも受け取れてしまう。

だから『素直な大人』は必ずしも褒められた言葉にはならない可能性もあり得る。

私は『素直』という言葉自体はポジティブに捉えています。

ただ『大人』を修飾する言葉として使う場合、
それはネガティブなニュアンスにもなってしまう。

そんな逆転現象を『素直な大人』という言葉に感じてしまうから、
この言葉には違和感を覚えてしまうのでしょう。

この感覚は「真面目な人だね」や「良い人だね」という言葉に置き換えると、
イメージしやすかったり、共有できる人もいるかもしれません。

つまり、『素直』という本来は良い意味の言葉なのに、
『大人』という言葉を修飾することでどこか皮肉っぽさを感じてしまう。

そこに私は『素直な大人』という言葉に対して違和感を覚えたということになります。

自分の感覚を言語化して世界を面白がる

大人になっても知らないことはたくさんあります。

なので、知識がなかったり未体験のことで、
何が起こるのか全く想像がつかないものに対して取り組むときに
『素直な大人』という表現をしても違和感はありません。

例えば、社会人1年目で右も左も分からない状況で仕事を始める時は、
何事にも素直に取り組むという気持ちは大切。

私もこの先まったく知らないジャンルに触れた時は、
先入観を持たずに『素直な大人』でありたいものです。

けれども、ある程度経験や勉強をして自分の世界が広がると
初めてやる仕事でも、初めて会う人でもある程度予想がつくようになります。

もし想像が出来てしまった場合、もう私の感覚では『素直な大人』にはなれません。

その時、私は『素直な大人』に変わる言葉を選ぶ必要があるでしょう。

例えば『謙虚な大人』や『正直な大人』など。

素直に近い言葉で自分の感覚を適切に捉え、
名前のない感覚に名前を付ける。

自分の感覚を言語化して感情を理解すれば、
不安定な気持ちがなくなり、世界の見え方が変わりそうな気がしています。

日本語は曖昧な言語で似たような意味の言葉に溢れていますが、
曖昧だからこそ感覚を言語化するのに優れていると思います。

感情や感覚は言語化が難しいけれど、どんな感覚も言葉に出来たら
自分の気持ちを相手に伝えることが出来るし、相手のことも理解できる。

何より自分のことをもっと深く知れるはず。

自分のことを深く知れば基準も生まれ、
何だか分からないモノに対しても一度しっかりと考えることが出来る。

そんな風になれたら、どんな場面でも面白がれそうですね^^

マナビエルライター&ファシリテーター
松田 裕司

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