「子どもへのまなざし」から教わったこと

「子どもへのまなざし」から教わったこと

「子どもへのまなざし」から
教わったこと


子どもという無垢なる存在は、
いつも私を色の付いた眼鏡越しにではなく、
ありのまま見つけてくれます。

それは、とてもありがたいこと。

毎日顔を合わせる先生にも、
「はじめまして」の私にも、
分け隔てなく見つけた花びらを見せてくれるのです。

そんな無垢のかたまりを
笑顔で受け入れずにはいられませんよね。

生まれた瞬間からはじまっている

何かを発見した!
できなかったことができた!

うれしくて振り向いたそんな瞬間に、
笑顔で応えてくれる存在のあること。

それが子どもの自我形成において
どれだけ大事なことであるか、
児童精神科医の
佐々木 正美さんの著書に教わりました。

(『子どもへのまなざし』佐々木正美著)
 ※画像をお借りしています


自己肯定感の獲得は、
生まれた瞬間からはじまっているのです。

人間という生き物は、
コミュニケートなしには生きられないもの。

特に生まれたばかりの赤ちゃんは、
どんな生き物の赤ん坊よりも非力で、か弱い。

それゆえ、
人間は生まれた瞬間から誰でも
コミュニケーションの天才なのです。

それなのに、成長するにつれ差が生まれてしまいます。
それはなぜでしょう。

自分の経験からの推測ではありますが、
コミュニケーション能力の差異には、
早期の自己肯定感の獲得が
大きく影響しているのではないかと思うのです。

まなざしを向けるだけで育つ力

赤ちゃんの頃、
周囲からのたくさんの反応をもらって、
成長段階で自分の話を
肯定的に聞いてもらえた経験を多く持てば
自分の存在自体に自信を持つことができます。

逆に、うれしくて振り向いた瞬間に、
笑顔で応えてくれる存在がいつだっていなかったり、
望ましい行為をした時にだけ
反応をもらっていたりすると、
自分という存在の大切さが
分からなくなってしまいます。

そんな子どもは、
自分を安心して表現できなくなり、
相手の顔色を窺ってばかりになるのでは
ないでしょうか。

『子どもへのまなざし』の中で、
空腹を訴えて泣く赤ちゃんが、
それに応える存在がいなかった時に
どうなるのかについて触れられています。

何度泣いても泣いても
ミルクがもらえないことが分かると
赤ちゃんはついに泣くのをやめる。
あきらめるのだ、と。

生まれた瞬間から人間は、
周囲の反応を見て自分の存在の大切さを感じ、
自分を認めていくのです。

ミルクをもらえなかった赤ちゃんは、
無力感の中で
自分の存在の大切さにおいて疑問を持ち、
そして自分を表現することを
あきらめていくでしょう。

生まれたばかりの赤ちゃんにも
そんなプロセスがあることを知った時、
愕然としました。

生まれたばかりの赤ちゃんだって、
自分が大切な存在なのか、
もう知ろうとしています。
知る力を備えているのです。

まなざしという心の栄養

例えば、
こんな日常の風景を思い描いてみましょう。


混みあった電車の中で、
赤ちゃんがぐずっているとします。

そんな時に、
周囲が迷惑そうな視線を向けたり、
わざとらしく咳ばらいしたり、
果ては暴言を浴びせたりするとします。

母親は、
焦りと悲しみと怒りと恥ずかしさで
赤ちゃんに対して
良からぬ感情を抱いてしまうかもしれません。

『おまえがいなければ…』と。

この時赤ちゃんは、
きっと周囲の反応も母親の感情も
感じることができるのではないかと思います。

そして、こんなことが蓄積されていくと
赤ちゃんはどうなるでしょう。

例えばこんな状況で
「どうしたの~、お腹が空いたのかな?」
「あらあら、眠いのね。」
などと声を掛ける人が
一人でもいたらどうでしょうか。

ほんの些細な関わりでも、
子どものその後の成長に
大きく影響することになるかもしれません。

羽ばたいていく
その未来の景色を思い描きながら、
子どもたちに
どんなまなざしを向けていけるでしょうか。

ふと、考えてみるのです。


〈完〉



マナビエルコンセプトデザイン担当 中尾由紀

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